誘惑とは、私たちの周りにあるものと考えますが、実は私たちの内側から始まるのです。私たちが抱いている願望に働きかけ、間違った願いを抱かせたり、悪い思いを抱かせて心を迷わせます。「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。」(ヤコブ1:14,15)とある通りです。誘惑を受けることは罪ではありません。イエス様も誘惑を受けられました。しかし、罪は犯されませんでした。誘惑は、それに屈して初めて罪となります。罪が働く時に、それを後押しするのは悪魔ですが、罪を犯すかどうかは私たち次第です。
私たちがこの誘惑に打ち勝つにはどうしたらよいのでしょうか?
1「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗すること」(ぺトロ(一)5:9)。
悪魔はさまざまな方法で私たちを神から引き離そうとします。誘惑を通して苦しみや悩みの中に引きずり込み苦しめたり、また、真の救いに変わる喜びを抱かせたり、私たちの欲望、快楽に訴えかけます。「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます」(ヤコブ4:7)とあるようにイエス様に「はい」と言えなければ、悪魔に対して「No」とは言えません。
2 御言葉を用いること。
「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エフェソ6:11)。イエス様も荒野で誘惑を受けられたとき、御言葉を引用され抵抗されました。空腹に耐え苦しむイエス様に「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(マタイ4:3)という誘惑に、私は空腹ではない、私は我慢が出来るから大丈夫だ、などと答えず、「人はパンだけで生きるものではない。」(マタイ4:4)と最後まで御言葉を持って抵抗されたのです。
3 戦いは祝福への道であることを知る。
ペトロは「あらゆる恵みの源である神」(5:10)と語ります。これはイエス様が十字架で罪に対して勝利をあげてくださったからです。私たちにはイエス様による勝利が与えられているのです。故に、どんなに苦しい戦いでも希望を持って歩むようにと私たちを励ましてくださいます。