【主日礼拝 】 2010年10月3日
当時、キリスト者に対する迫害が激しくなり、信仰を守っていくのは大変なことでした。そういう中で信仰を失いそうになったときなど、イエス様が起こされた数々の奇跡を思い起こしては勇気づけられたり、慰められました。中でも「五つのパンと二匹の魚で五千人のお腹を満たした」(41)。この奇跡は多くの人々や、特に弟子たちには更なる信仰の喜びに溢れさせた事と思います。
ところが「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダまで行くように命じられました」(45)。しかし、あまりの逆風のために弟子たちがこぎ悩んでいました。弟子たちは不安と恐れの中で必死に向こう岸に渡ろうともがいていたのです。イエス様は弟子たちを奇跡の余韻が漂う中にあって「強いて」弟子たちを不安の世界へ追い出されたのです。
パンの世界を見て感動した弟子達も、具体的なこの世の力の中に投げ込まれた時には、全く恐れとおののきしかありませんでした。私たちも礼拝で、あるいは聖書を読んでいる時に、自分の心が燃え上がり、イエス様は主であると信じて歩みだします。しかし、お金や力が物を言う現実の世界に飛び込んで行くと、イエス様が私たちといつも共にいてくださる、という事がサーツと消えてしまい、やはり、お金や力や地位がなければ駄目なのではないかという事になってしまうのです。そうなると、イエス様は主であると自分に言い聞かせても、それが自分にとって少しも実体を伴って来ない、不安の中で弟子たちがイエス様を見て幽霊だと思ったように、私たちも現実の中でイエス様が幽霊のような存在になってしまうのです。人はみな恐れを抱きます。それが人間でありますから、恐れるという事をそれほど恥じる必要はありません。ただ、そこで「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」(50)と仰せられるイエス様のみ声を聞くことです、そのとき恐れは喜びに変わります。恐れるな、わたしを信じなさい。この約束を信じて歩みましょう。
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