【主日(召天者記念)礼拝 】 2010年10月17日
人間はいつか「死」を迎えます。死にたくないのに死ななければならないことが多く、死は納得のいかないこととしてやってきます。でも、分っていてもどうする事もできません。できることは「死」を考えないようにすることぐらいです。それほど「死」は人間を恐怖と悲しみに落としいれるのです。たとえ、この世のすべてを手に入れたとしても最後には死が勝利するのです。
しかし、パウロはその「死」に対して「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(コリント(一)15:55)と叫びました。パウロはどうして、人間では絶対に打ち勝つことの出来ない「死」に対して「お前の勝利はどこにあるのか」と言えたのでしょうか?それは、イエス・キリストが死からよみがえったとの信仰に立ったからです。「イエスは言われた。わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれでも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11:25−26)。パウロはキリストの復活を信じることによって、死のかなたにもう一つの永遠の世界を見たのです。
そして、この世で答えを得なくても、死を超えた向こうで、すべてを引き受けてくださるお方がおいでになります。この肉体は朽ちても、私の魂をしっかりと受け止めてくださる方がおられるのです。故に死は終わりではなく、死を越えて始まるのだと言うのです。そして、神様の願いは、今、生きているときに、私のために十字架について、そして復活してくださったイエス・キリストを信じること、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)と仰せられるように「永遠の命」を受け取ることが神の御心なのです。
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