【主日礼拝 】 アドベント第三週                                           2010年12月12日 

『決めつけてはだめ(マリアの信仰)』

ルカによる福音書1章26-38節 

山岸 明牧師

 天使はマリアのところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28)。私たちはだれでも恵まれた人生を歩みたいと願っています。では、恵まれた人生とはどんな人生でしょう?天使はマリアに続けて言われました「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」(31)。マリアは天使に、「どうしてそんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(34) と言った。恵まれた方と言われたマリアにもたらされた出来事は、人生に大混乱をもたらす事でした。
 私たちの人生にも予想もつかない出来事に遭遇する事があります。平安なときを過ごしていたかと思うと、いきなり、落とし穴に落ちてしまったり、やっとの思いでそこから這い上がると、今度は思いがけない重荷を背負わされる事もあります。また、やる事、なす事、裏目に出て、出てくるのは「怒り」「敵意」「争い」・・・私の人生は何て恵まれていないのだろうと愚痴をこぼさずにはいられません。
 マリアは、混乱する状況の中で「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38)。と言った。これは、神様の思いが優先されますように、神様の計画を第一にしてくださいと言う事です。受け入れがたい事を受け入れていく、それは諦めでもなく、絶望でもありません。私たちは勝手に生きているのではなく、生かされている、そこには神の私たちに対する目的があります。それを認め受け入れるとき、どんなに理不尽と思えるような辛い中にあっても、それを神からの試練として捉え、その中に希望が与えられている事に気付くのです。その希望とは「恵まれた方、主があなたと共にいる」。主が私と共にいてくださることです。
 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45)。自分の願いや思いだけに生きる人は、恐れや不安と隣あわせにあり、神の希望に生き、神の約束を待ち望む人は、たとえ行き詰まり、八方ふさがりとなったとしても、神に不可能はない、神は何でもお出来になる、そんな確信の中で力強く歩むことが出来るのです。クリスマス、それは救い主の誕生、それは待ち望む者に与えられた生きた喜びです。今はもう救いがイエス様によって完成されています。後は私たちがこの恵みを受け取るかどうかです。また、自分は本当に受け取っているかどうかを吟味するときです。


 
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