【主日礼拝 】                                            2011年1月9日 

『生きがい』

マタイによる福音書5章13-16節  


 よく“生きがいがない”とか“生きる張り合いがない”という言葉を聞きます。誰でも『生きがい』のある人生を送りたいと願っていますが、現実はどうでしょうか。ある調査によると経済的・物質的に豊かな国の人々の方が、心の空しさにさいなまれている人が多いようです。若い頃に、財産・地位・家族などを手に入れれば幸福になれると思い込み、ひたすら頑張って、いざそれらを手に入れてみると、まったく幸福という実感が湧かず、それどころか自分の人生に大切な何かが欠けていると感じるのです。そして、自分の人生を意味あるものにするためには、今後どう生きていけば良いのだろうか、残された人生で、私は何をしたら良いのだろうか、という問いに向き合う事になるのです。私たちが『生きがい』をもつためにはどうしたら良いのでしょうか。
 初めに、あなたは必要とされています。よく自分はだれからも必要とされていない、だから生きがいを見出せないと言う人がいます。でも、そんなことはありません。イエス様はこう仰せられます。「あなたがたは地の塩であり、世の光である」(13-14)。神は私たちを「地の塩として、世の光」として必要とされているのです。
 次に、神と共に生きることです。私たちが生きがいのある人生を送るには、神がわたしを創られ、この世に誕生させられた目的を知ることです。わたしたちは偶然に存在しているのではなく、わたしにしか出来ない目的があるのです。故に、必要があって生かされているのです。そのことが分かったとき、残る生涯を、神のために、そして、だれかのために役立つ生き方をしたいという思いが不思議に湧いてくるのです。
 最後に、生かされていて良かったと言える人生です。自分がこれからやりたいこと、得たいものの中に『生きがい』を見つける事も良いことです。しかし、あなたが生まれたのは、神様があなたを必要とされたからなのです。私は小さな弱い人間、何をやってもダメな人間、自分で自分に自信が持てなくても、神様が私たちを必要とし、私たちを用いて下さるのです。この事を知るとき、私たちの生きる意味、目的といったものをはっきりと見ることができ、ああ『生きていて良かった』と心から思えるのです。それが生かされていることへの感謝の証しです。


 
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