【主日礼拝 】
2011年1月16日
私たちは体の健康管理が大切なように心の健康管理も必要です。何故ならば、私たちは心に決めていることを選択してしまうことが多いからです。パウロは言いました「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです」(ローマ7:15)。人は頭では分かっていても、最後は心が求めていることを選んでしまうのです。だから心が大切なのです。「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない」(マタイ7:17-18)とあるように、心が疲れていては良い実を結ぶことは出来ないのです。
それでは、心が疲れたときどうしたら良いのでしょうか。
初めに、何があろうと神に立ち返ることです。ダビデは失敗したとき、罪を犯したとき、悩んだとき、苦しいとき、どうにもならなくなったときなど、どんな時でも神を求め、神に立ち返えりました。そして「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる」(詩編23:1-3)と告白しました。イエス様もこのように仰せられています「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)。疲れた者が第一にすることは「わたしのもとに来なさい」と仰せられたように、神に立ち返るということです。
次に、神の前に正直に告白することです。それは自分にとって不都合なことも、不利になることも、また、苦しみも、悲しみも、痛みも、すべて正直に告白することです。その告白が、私たちの心を回復へと向けることになるのです。
最後に、神に従うことです。今、神様と自分の関係を点検してみましょう。まず、私は神を信頼しているだろうか。神により頼んでいるだろうか。わたしには出来ないけれど、神には出来ると信じているでしょうか。本当に、神 我と共にあり、という人生を歩んでいるでしょうか。そして「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい」(コリント(二)13:5)。とあるように信仰を点検してみましょう。