【主日礼拝 】                                       2011 年4月3日 

『求めて分かる真実』

マルコによる福音書10章35-45節

山岸 明牧師

 イエス様に十字架の死が迫ろうとしていたときに、ヤコブとヨハネがお願い をしました。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、 もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。」(35−38)。そして、最後に「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(43−45)と仰せられました。 

1、分かっていない祈り。私たちの日々の求めを少し振り返ってみましょう。
今、イエス様から「あなたは、自分が何を願っているか、分かっていない」(38)そんな御声が心に響くかもしれません。そして、自分の求めをよく吟味してみると、それは自己の欲求を満たすためだけのものだと気がついたかも知れません。それはとても感謝なことです。

2、偉くなる方法。よくクリスチャンは偉くなったり、金持ちになってはいけないと誤解する人がいます。イエス様は「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(43)と仰せられました。問題は、どのように偉くなっていくか、得た利益をどのように使っていくかが問われるのです。

3、真実な道。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(43−45)。私たちにとって大切な事は、どんな重要な地位に就くかではなく、十字架を負って従うかどうかという事であります。十字架を負って歩いているならば、その人が、名もないような者であったとしても、どんなに苦しい状態にあろうとも、又、うだつの上がらない人生であったとしても、神さまの前には大いなる者であり、尊ばれるべき者として立つ事ができるのです。例え、この世において賞賛され、どんなに要領よく生きても、その人が十字架を負っていないなら、その栄光はごく僅かな期間の栄光でしかないのです。


 
福音メッセージ一覧
戻る
                  

福音メッセージ一覧

集会案内

質問・メール

キリスト教イロハ

聖書を読む