【主日礼拝 】 2011年5月29日
「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛しあおう」(18)愛することは、どんなに愛を考えてみても、どんなに愛を論じ合ってみても出来るものではありません。愛は愛することによってのみ育っていくのです。パウロは愛の具体的な特徴について次のように語っています。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(コリント(一)13:4−7)。
次に、この愛の特徴を私たちの生活の中に取り入れたとき、その深い意味が分かってきます。愛のところに『私』と入れてみてください。私は忍耐強い。私は情け深い。私はねたまない。私は自慢せず、高ぶらない。私は礼を失せず、自分の利益を求めず、私はいらだたず、恨みを抱かない。私は不義を喜ばず、真実を喜ぶ。私はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。どうでしょう。この愛の前に、私たちの弱さ、失敗、罪、私たちの理想と現実のギャップをあらわにし、私は真実なる愛と程遠いものであると畏れおののいてしまいます。真実なる愛は、私たちに“身の程を”知らしめてくださり、私たちを謙遜にすると共に、どのように人を愛すべきなのか、その方向性を教えてくれます。
最後にパウロは「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も偉大なのは、愛である」(コリント(一)13:13)と言いました。信仰も、希望もすばらしいです。でも愛が一番すばらしいというのは何故でしょう。信仰も、希望も神様のご性質ではなく、愛のみが神様のご性質なのです。故に、「神は愛である」と言います。この神の愛のご性質は人間に伝わってくるのです。私たちがこのすばらしい神のご性質に与るとき、人間は変えられていきます。神の愛に生かされたときに初めて、私たちもそのような愛に生きる事ができるのです。それは、あなたの人生をだれが握っているかです。私の人生を私が握っていたら“愛”の人生を歩む事はできません。しかし、私の人生を神が握ってくださったとき、私たちは愛に生きる事ができるのです。
福音メッセージ一覧へ
|