【主日礼拝 】 2011年6月26日
ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」(1:1)。すべてに恵まれ、東の国一番の富豪であった。ところが、そのすべてを一瞬にして失ってしまいました。更に自らも大きな病に侵されてしまいました。ヨブの災難を聞いて友人たちが見舞いに訪れました。自分が苦難の中にあるとき、友人たちが来てくれるのは大変心強いものです。友人たちは嘆くヨブを心配し、その身に起こった災難の原因を教えようとしました。ある友人は自分の経験にもとづいて話し、ある友人は昔からの言い伝えに従って話し、ある友人はヨブの信仰を正そうとしました。しかし、どれもヨブを慰める事も、励ます事もできず、逆にヨブを苦しめる結果になってしまいました。友人たちは自分たちの言う事を聞き入れないヨブに対して苛立ち、裁き始めました。ここからヨブと友人たちの泥沼の争いが始まります。これは私たちの生活の中でも常に起こりうる事です。
神は友人とヨブに対して次のように仰せられました。
1)裁いてはならない。私たちも、自分の経験や、習慣、信仰の違によって、相手を裁いてしまう事があります。教会の中でも例外ではありません。「律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」(ヤコブ4:12)私たちはみな欠陥を持った人間であり、隣人を裁けるような者ではありません。「人を裁くな、あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ、自分の丸太に気づかないのか」(マタイ7:1−3)。
A赦し合うこと。神は裁き合わないだけでは不十分であると言います。積極的に赦し合い、愛し合う事を勧めます。裁かれていない事は、私たちに平安を与え、赦し合い、愛し合う事は、私たちに大きな喜びを与えます。よく、赦し合いを強調すると、図にのる、人をだめにしてしまう、と心配する人もありますが、主のみ言葉に従えば、主ご自身が裁き、しっかりと整えてくださいます。主はヨブに友人たちのことを祈るように仰せになりました。ヨブは神を信頼し、そのご命令に従い、自分を攻め立て、悩みの底に突き落とし、自分を裁き傷つけた友人たちのために祈りました。すると「主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされました。」(42:10)。ここに、赦す事は恵であると記されています。、
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