【主日礼拝 】 2011年9月25日
私たちが生きているこの世の中は、殺伐(とげとげしく、ピリピリと、ささくれだった様な)としていて、ぬくもりや温かさをあまり感じられないことがよくあります。毎日流れる報道を聞いていても、悲惨な事件が後を絶ちません。多くの人は、そのような状況の中で不安をつのらせながら暮らしています。また、本来温かいはずの家庭においても、夫婦や親子の関係がぎくしゃくし、コミュニケーションがなくなってきています。人との関係がわずらわしくなったり、面倒くさくなったり、苦痛になって、常に『自分』中心に生きてしまいます。このような人間関係を難しくしている中に、愛の欠如があります。
「愛」は、健全な人間関係を築く上で絶対不可欠なものです。この愛が正しく機能していれば、夫婦や親子、友人との、信頼しあう関係が成立しますが、この愛が正しく機能していなければ、互いに不満をもち、憎み合う関係となってしまいます。ある人の言葉に「誰からも愛されないのは大きな苦痛だ。誰をも愛することができないのは、生の中の死だ」と言いました。愛のない生活の辛さが伝わってきます。
社会には、自分は誰からも愛されていないと感じている人が多くいます。また、人を愛することを諦めている人もたくさんいます。主の愛は、そのような人たちにこそ必要なのです。人がこの主の愛を受け入れ、その愛に根ざすならば、今まで自己中心的でしかなかった“あなたの愛”は、その質を大きく変えていきます。自分中心の条件付の愛から、相手の立場に立ち、そして、赦す愛へと変えられます。なぜ、そんなことが可能になるのか、それは「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます」(ヨハネの手紙(一)4:16)と仰せられるとおりです。主から“とこしえの愛”をしっかり受け取りましょう。
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