【主日礼拝 】                                  2012年1月15日 

 『仕える者』

マタイによる福音書8章14-17節

山岸 明牧師


 私たちは、誰でも幸せを求めます。しかし、それがかえって私たちを苦しめる事があります。神様は私たちに『幸せ』を求める以上の大切な目的を教えてくださっています。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:45)。イエス様は『仕えるために』、そして『与えるために』来られました。そして、私たちにも、仕える者、与える者になる事を望まれています。これが、神様が私たちに求める大切な目的なのです。
 
 「イエスはペトロの家に行き、そのしゅうとめが熱を出して寝込んでいるのをご覧になった。イエスがその手に触れられると、熱は去り、しゅうとめは起き上がってイエスをもてなした」(14−15)。彼女は奉仕を持って仕えました。私たちが奉仕して仕えていく上で大切なことがあります。

 初めに、イエス様との関係です。奉仕とは、神様に受け入れられ、赦され、愛されている喜びから溢れ出る感謝の行為です。ですから『奉仕』は義務や強制されて行うものではありません。ペトロの姑がイエス様と一同を“もてなした“と言うのは感謝から出た行為なのです。私たちの奉仕の原動力は常にイエス様との関係の中で築かれなければなりません。

 次に、何を持って仕えるのか。私たちは与えられた賜物を持って仕えていきます。私に何が出来るのかと悩まないでください。あれが無い、これが無いと心配しないでください。あれさえあればと無いものねだりをしないでください。与えられているものを最大限に生かしていけば良いのです。ペトロのしゅうとめは与えられた健康という賜物を持って奉仕をしました。

 最後に、どんな心でするのか。「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」(ガラテヤ6:4)自分を人と比較してはいけません。その理由は、自分より優れている人を見ると落ち込み、自分より劣っている人を見ると高慢になってしまうからです。どちらの態度も奉仕から喜びを奪い去ってしまいます。謙虚な心で感謝して出来る事をしましょう。


 
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