【主日礼拝 】 2012年7月8日
イエスは弟子たちに『人々は、人の子のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった」。弟子たちは『洗礼者ヨハネ』『エリア』『エレミヤ』『預言者の一人』と言う人もいます。イエスは言われた「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」。ペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。イエスはお答えになった。ペトロよ、あなたは幸いだ。「このときから、イエスはご自分が多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっていると弟子たちに打ち明け始められました。すると、ペトロはイエスをわきへおつれして、いさめ始めた。『主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません』イエスは振り向いてペトロに言われた。『サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを思わず、人間のことを思っている』」(13−24)それから自分を捨てわたしに従いなさい。
毎日、自分を中心に考えている私たちが本当に自分を捨てる事ができるのでしょうか。私たちは自分を何よりも大切にしています。だから悩み、迷い、苦しみ、執着するのです。私たちの愛情も、憎しみも、怒りも、すべて根っこには自己愛があります。生まれた時から死ぬまで、自分を離れる事も忘れる事もできません。どんなに難行苦行しても、我欲を捨てる事もできません。逆に自分を捨てようとすればするほど、自分をいとおしく思え、ますます自分を愛してしまうものです。
自分を捨てる事は、別人になる事でも、自分の事はどうでも良いと考える事でもありません。神の御心とは無関係に、自分の欲や目標に走ってしまう事にあります。本人はまじめに自分を生かそうと努力していても、神の目には自分を破壊していく生き方と写るのです。だから、神は方向転換を求め『自分を捨てよ』。そして十字架を背負って従えと勧められるのです。自分の考えよりも、神の考えを優先する事は一見、自分を粗末にし、投げやりのように見えますが、それが神の力によって逆転し、結果、自分を生かす事になるのです。「あなたはわたしを何者だというのか」この御言葉は、私たちの根底を問い直す事を求められています。私たちは、今、自分を問う事、見直す事、その上で改めてイエス様に対して信仰の告白をしましょう。
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