【主日礼拝 】 2012年7月22日
南王国ユダの王様イゼキヤが人生半ばにおいて突然“死の病”に侵されてしまいました。病で苦しむヒゼキヤ王のもとにイザヤという預言者が神から遣わされました。イザヤはヒゼキヤ王に「主はこう言われる。あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい」(38:1)と、死の宣告を受けたのです。「ヒゼキアは顔を壁に向けて祈った。そして、涙を流して大いに泣いた」(8:3)。
ヒゼキア王は絶望の中から「陰府があなたに感謝することはなく、死があなたを賛美することはないので、墓に下る者は、あなたのまことを期待することができない。命のある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し、父は子にあなたのまことを知らせるのです」(イザヤ38:18−19)と告白した。ヒゼキヤ王は私が死んだら、神に感謝する事ができません。賛美をささげる事もできません。何も期待する事もできなくなります。でも、生きていれば神様、あなたに感謝できます・・・と本心から祈りました。
私たちは生きているからこそ喜ぶことができ、祈ることもでき、感謝をささげられるのです。聖書に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケ5:16−18)とあります。『感謝の心』というのは、物事がうまくいってもいかなくても、目に見える状況が良くても悪くても、そういう事に振り回されずに安定して神様が下さる恵みをそのまま受けとる事ができる心です。
この心は自然に出来るものでも、自動的に与えられるのでもありません。感謝の心は育てていくものなのです。では、どのように育てていくのでしょうか?
1祈りを通して感謝の心が育てられます。
2試練を通して感謝の心が育てられます。
3働きを通して感謝の心が育てられます。
感謝から不平不満は出ません。感謝から怒りや恨みは出ないのです。感謝していると傲慢になりません。神様に感謝することによって、私たちは世の邪悪なものを吹き飛ばすことが出来ます。でも、感謝の心は壊れやすく、無くなりやすく、その上奪われやすいので、大切に育てましょう。
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