【主日礼拝 】 2012年8月19日
「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)とあります。聞く事は信仰の基本的姿勢とも言えます。故に、私たちはしっかりと聞く耳を持たなければなりません。
初めに、御言葉を聞くときの心構えです。
サムエルが神様からの呼びかけがあったときに答えました。「主よ、お話しください。僕は聞いております」(3:9)。サムエルは自らの心の準備を整え、御言葉を待ち望んだのです。
次に、御言葉を聞くときに、私の心はどこにあるのか。
『心ここにあらざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず』ということわざがあります。その意味は、他の事に気を取られているようでは、物事の本質はつかめない。見ていても、見えていない。聞いていても、聞こえていない。食べてもその味が分からない。聞くのは耳でありますが、実は耳を通して心が聞くのです。聞く心がなければ『馬の耳に念仏』です。どんなに尊いものであっても、ただの雑音にしか聞こえません。「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている」(イザヤ29:13)。
最後に、私たちの心の態度を改める。
御言葉を聞く姿勢についてイエス様は「種まきのたとえ」(ルカ8:4−15)を話された。種が四つの異なる土地に落ちた。種とは、神様の御言葉です。そして、土地は言葉を聞いた人の心のことです。
1、道端に落ちた種、御言葉を聞くが心が堅く、閉ざされた心。
2、石地に落ちた種、御言葉を聞いて喜んで受け取るが困難や迫害が起こると、こんなはずではなかったと言って身を引いてしまう、見せ掛けの心。
3、茨の中に落ちた種、世の思い煩いに覆いふさがれてしまう、ふさがった心。4、良い土地に落ちた種、忍耐して100倍の実を結ぶ、実を結ぶ心。
「聞く耳のある者は聞きなさい」
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