【礼拝メッセ−ジ要約】                           2000年8月6日

どのように建てるか

气Rリント3:10〜17

メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 約】                   

 その昔モーセは神に導かれるまま特別のテントを造りました。これは「神の幕屋」(タバナクル)と言って、イスラエルの人々が礼拝をささげるためのものでした。幕屋の寸法、形色、材料や備品の一つ一つに至るまで、全てキリストのご本質を象徴するものでした。後にソロモン王はこれをヒントにして立派な神殿を造りましたが、後にバビロン帝国の時代に国は滅び、神殿も破壊されてしまいました。ペルシャ帝国の時代にネヘミヤ達が小規模ながら神殿を再建しました。これを第二神殿と言います。しかしこれも紀元70年ローマ軍によって破壊されました。形あるものはいつか朽ちます。しかし第一、第二の神殿が破壊されたのは、或いは神ご自身の配剤であったかも知れません。イスラエルの人々は神殿の美しさ雄壮さに酔い、モーセの時代の精神を見失ったからです。

 そこで使徒パウロは目に見える神殿ではなく、人々の心の内にこそモーセが目指した本物の「神の宮」を建て上げようと考えました。それがこの气Rリント3章です。彼は神から請け負った「熟練建築師」として一番大切な土台を定め、そして私たちの心の内に据え付けました。この土台こそ「イエス・キリスト」そのお方です。つまり私たちの心にイエス・キリストを個人的な救主、キリストと信じる信仰を持つ者と導いてくれたと言うことです。後は一人一人がその土台の上にどんな材料を用いて人生を築き上げて行くかです。金や銀や宝石のように、困難な時にもキラリと神の栄光を光り輝かせて、周りの人々をキリストに導くような生き方が出来るかそれとも木や草や藁のようにぱっと燃え尽きて、辛うじて自分一人を救うような人生か。あなたはどちらかと問いかけているのです。

 

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【礼拝メッセ−ジ】                            2000年8月6日                       

どのように建てるか

气Rリント3:10〜17

メッセージ:高橋淑郎牧師

昨日から会堂建築をテーマとしてキャンプが開かれています。私の理解ではこのキャンプを「聖書に聴き、聖書に学ぶ恵みの集会」、或いは一寸古くさい言い方をすれば「修養会」の積もりでいます。

今回は特に出エジプト記を中心に学びました。神の宮建築に関する記事は他にも例えば、

1.列王記上、歴代誌上−ソロモンの第一神殿。

2.エズラ記、ネヘミヤ記、ハガイ書、ゼカリヤ書−第二神殿。

3.エゼキエル書、ヨハネの黙示録21章等−天にある神の幕屋。

 このように多くの聖書から学ぶことが出来ますが、今回は敢えて出エジプト記に絞りました。なぜなら第一神殿も第二神殿も結局はモーセの建てた神の幕屋に原点があるからです。

 第一神殿も第二神殿もその規模の大きさ、形の麗しさにおいてイスラエル人の誇りであり、異邦人の妬みでした。しかしそれが却って、イスラエル人の心をモーセが預言した神の幕屋の精神から大きくそらせる誘惑になってしまいました。だから神は敢えて第一神殿も、第二神殿も破壊してしまわれたのではないでしょうか。

 ではモーセが預言した神の幕屋の精神とは一体何だったのでしょうか。この事を押さえておかないと、私たちの教会もどんなに立派な会堂を建てても、もしかして同じ運命を辿ることになりかねません。このキャンプの閉会礼拝としての今朝、その為のテキストとして開かれたのが气Rリントです。

 

一、 神の宮の設計図

 使徒パウロは「ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをする」(ガラテヤ4:19)と書いています。神はご自分の形に似せて人をお造りになりました。そして神は今私たちの内に神の形、キリストの形を完成させようとしておられます。昨日も学びましたように、モーセの神の幕屋は全てキリストになぞらえて造られています。その完成された予想図が气Rリント3:16〜17です。聖霊の内住する信仰の人、御霊なるキリストが内住するクリスチャンがそれです。

 

二、 建築請負人パウロ

 モーセが山で示されたように、パウロは祈りの中でイエス・キリストによって設計図を与えられました。そこでまず彼は一番重要な部分である土台造りから始めました。建物は土台によって決まります。「岩に届くまで土を深く掘り、岩を土台としてその上に家を建てなさい」 (マタイ7:24〜27)と言う御言があります。この岩こそキリストです。キリストを土台として、キリストの形を宿す信仰の人を神は造り上げて下さるのです。

 使徒パウロは「わたしは熟練した建築師のように、土台を据えた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どう言うふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」と言っています。新共同訳聖書によれば「熟練した建築家」と訳していますが、口語訳では「熟練した建築師」となっています。英語で言うmaster builder(αρχιτεκτων)です。大工の棟梁、或いは建築請負業者という意味です。ある一部分を請け負う建築家ではありません。一軒の家全部の注文を受けた建築師なのです。パウロはその一番大事な部分、これだけは人に任せておけない部分を定め、そして据えました。後はそれぞれ分担してこの家を建て上げてほしいのです。

 

三、 工事担当者

 パウロが請け負ったこの仕事を注意深くこなして行く者は誰でしょう。それは各々の教会の仕事であるとパウロは言います。私たちの人生の土台はイエス・キリストです。決して他のイデオロギーや宗教に心惹かれてはなりません。キリストの形のなる神の宮としての人生を築いて行かなければなりません。

 家を建てるには色々な材料が必要です。私たちの人生もまた何かの材料が必要です。金や銀や宝石のような高価な材料を根気強く時間を掛けて集め、それで家を建てる人、また木や草や藁という安価に求めることの出来る材料で家を建てる人がいます。この二通りの材料は、金持ちと貧乏について語っているのではありません。金や銀や宝石のような尊い御言と祈りで積み上げて行くデボーションに時間を掛ける教会生活であり、木や草や藁のような教会生活で良しとする人生です。双方とも日常的にはそんなに違いは見られません。しかし人生には何が起こるか分かりません。そうしたとき、金や銀や宝石のような霊的貯蓄の出来ている人は、その人にとって一番辛いはずの時にもきらっと光る信仰の輝きが見られるので、周りの人々はその人を見て神を崇めることでしょう。一方木や草や藁のような材料で築き上げられた信仰の人は何事か起こった時、自分を救うことで必死ですから、周りの人には余り感化を与えることはないでしょう。しかしこのように脆い材料で築き上げられた信仰の人も、イエス・キリストを土台としている限り辛うじて救われます。でも神があなたに願っておられるのは、金や銀や宝石のような霊的貯蓄の出来る信仰の人です。

 会堂建築はこの教会に所属する私たちの為のものではありません。この地域の人々が救いに与るチャンスとなる為です。文字通り誰でも自由に出入りできる設備を整える為です。その為に必要なものは必ず満たされるという信仰を持ってこの業に参与すべきです。そうすればこの事業は神の栄光となるでしょう。 祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を崇め、讃美します。

昨日からキャンプを開いて下さって有り難う御座います。特に今年のキャンプは会堂建築がテーマになっています。今年度の総会ではこの地に建てようと決議しました。これはあなたから出た御心と信じたからです。もし一人一人がモーセの建てた幕屋の原点に帰ってこの事業に携わるなら、このところに会堂を建てるために後必要な4千万円を超えるお金もそんなに大きな問題ではありません。今私たちに求められているのはこれが主から賜った聖なる事業であるという確信です。そしてこの会堂建築は勿論世のため人のためではありますが、一番大切にしなければならないことは、これはあなたの栄光を表すためでなければなりません。どうか、この教会を今奮い立たせて下さい。アドナイ・イルエ「主の山に備えあり」の信仰に一人一人を導いて下さい。

主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。

 


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