メッセージ:高橋淑郎牧師
【要 旨】
主イエスはユダヤ教指導者たちのご自分に対する殺害計画を知って別の町へ行き、そこでも従う者の前で癒しの業を施しながら、同時に自分のことを言いふらさないようにと戒められました。成る程当局から干渉を受けないためには、そして福音宣教を進めるためには自分の噂が広がることは拙いと言えます。果たしてそうでしょうか。主はその理由で戒められたのではありません。確かに殺害計画を知って別の町へ行ったのは生き抜くためでした。しかしそれは個人的に命を惜しんだのではなく、天父の時(十字架)未だ来たらずと理解しておられたからであります。イエスの御業を言いふらさないように戒められたのは、イエスの御名を正しく伝える使命に召された弟子たちのほか許されていないからです。旧約に預言されている「選ばれた僕」(イザヤ42:1〜4)が待ち望んだイエス・キリスト、このお方であると確信できた者のみがこの方を正しく宣べ伝えることができるのです。
クリスマスを一ヶ月後に控えた今、異邦人である私たちを、また傷ついた葦(人生半ばの致命的挫折)、くすぶる灯心(余命幾ばくもない人生)のような私たちを折らず、消さず、決して見捨てることをしない御名にこそ私たちの救いがあり、望みがあるのです。
メッセージ:高橋淑郎牧師
先週開かれた日本バプテスト連盟第48回総会について若干のご報告をします。「イエスはそれを知って、そこを立ち去られた」からこの物語は始まっています。「それ」とは勿論直前の14節を指しているわけです。つまり、主イエス・キリストに対するユダヤ人指導者たちの暗殺計画です。殺害を免れるために別の町へ行ったのであれば、大人しくなりを潜めている方が安全なのに、そこでも早速癒しの御業を行われました。そして「ご自分のことを言いふらさないようにと戒められた」と言うことです。この事からイエスは死にたくないから別の町へ逃げたのではなく、人間にははかりがたい御心が秘められていることが分かります。
主イエスにとっては生きるも死ぬるも天父の御心のままなのです(使徒パウロはこの箇所から、自分の生も死もこの方に委ねることを学んだのでしょう−フィリピ1:21)。あの町を離れたのは、天父の時(十字架)未だ来たらずと認識されたからです。ご自分のことを言い触らさないようにと戒められたのも、ユダヤ人指導者を恐れたからではなく、もっと深い御心からであります。それは主イエスの御名とその御業を正しく伝えることは、その使命のために召された弟子たちの他に許されていないのです。18〜21節は旧約聖書(イザヤ42:1〜4)からの引用で、主イエス・キリストのことを指しています。この方は天父の選んだ特別の「しもべ」です。「天父の御心に適った方」であり、「天父の喜ばれる方」であります。また「天父の霊」を持っている方であります。
クリスマスを一ヶ月後に控えた今、この方は私たちにとって待ち望むべき方です。主イエス・キリストは確かに地理的にはイスラエルのベツレヘムを選んで降誕されました。しかし神が彼を世に遣わされたのは、ユダヤ人のためばかりではなく、遠く異邦人の救いのためでもありました。神の目線は遙か極東のこの日本にも注がれていたのです。イエスは「異邦人に正義を知らせる」のです。新聞、TV等を通して日々伝えられるニュースを見聞きするにつけ、この国に正義はあるのかと訝(いぶか)ってしまいます。だからこの国にもクリスマスが必要なのです。イエス・キリストなしに正義は成り立ちません。
以前「日本海外医療協力会(JOCS)」からアフリカのザンビアに派遣されて、約3年半ほど保健婦として活躍された姉妹からこんなお便りを頂きました。「こちらから見る日本は考えられないほど豊かな国です。しかしここで働いてみて、日本人は何と多くのものを失ってしまったことかと悲しくなります。その中で最も大きな遺失物は「愛」です。ここで働き始めた頃、現地の人から『日本人はとてもお金持ちなのに、どうして自殺が多いのですか?』と問われて、答える言葉を見つけることが出来ませんでした。でも今は辛いことですが、答える言葉が見つかりました。日本人の自殺の最も大きな原因は愛の喪失です。自殺者が悪いのではないのです。彼らは愛されていないのです。愛することの出来ない日本の社会が、あの人たちを自殺へと追いやってしまったのです。どうか牧師先生、教会の礼拝で愛を語って下さい。主イエスにある愛だけが、人を本当に生かすのですから」と。
19節をご覧下さい。これはイエス・キリストが巷で誰かと感情的に大声を出して喧嘩をしているのを見たことがないと読み直すことが出来ます。この主イエス・キリストこそ「傷ついた葦のように人生の半ばで致命的な挫折の中でもがいている人々、またくすぶる灯心のように余命幾ばくもない人生を孤独に、そして死後どうなるのかと恐懼している人々」に復活の命の主として降誕してくださるのです。この世が葦を折り、灯心を吹き消すとも、イエス・キリストはその葦を元通りにし、灯心を再び燃え輝かせてくださいます。
この御名にこそ私たちの救いがあり、望みがあります。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ8:12)とイエスは言われます。世の光、救主キリストこそあなたの人生をいつまでも輝かせて下さる唯一の方です。
祈りましょう。
天のお父さま、あなたのお名前を心から讃美します。
日本バプテスト連盟の総会を導いて下さって有り難う御座いました。私たちはつい日常の生活、足元のことで追われて、隣の教会のこと、遠くの教会のこと、そして海の向こうにいる兄弟姉妹のことを忘れてしまい勝ちです。その意味で、2年に1回天城に行って350ほどの教会・伝道所の人々の息吹を感じることはとても良い刺激になります。沢山の恵みとまた多くの課題を与えられて山を下りてきました。
主よ、どうか、私たちの教会が自分たちのことのみに忙しくして、隣の人々の呻き、また遠くの人々の叫びに耳や目を閉じる教会ではありませんように。傷ついた葦、くすぶる灯心のような人生の人々を、主の御名によって、主イエス・キリストと共に癒し、支える奉仕者の一人に加えて下さいますよう、私たちの救主イエスさまのお名前によってお願いします。アーメン。