2000年11月26日
主日礼拝メッセージ
恥をぬぐわれて

ルカ1:1〜25

            メッセージ:高橋淑郎牧師

【要 旨】  

 祭司ザカリヤとその妻エリサベトは「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった」のです。しかし「彼らには、子どもがなく、二人とも既に年をとって」いました。この二度にわたる「二人とも」という紹介に、二人の喜びと悲しみ、誇りと肩身の狭さ(ここで言う恥とはそう言う意味です)が伝わってきます。信仰において、その生活において彼らは人々の模範であり、尊敬の的でした。しかしそれと共に何とも形容しがたい周囲に対するコンプレックスがありました。勿論周囲は心の中でも言葉においてもこの老夫婦を苦しめたり、追い込んだりするようなことはしなかったことでしょう。だが人々のこのような気配りこそ、夫婦とりわけ女性であるエリサベトにとって重荷となっていたのではないでしょうか。

 神は人の心の奥にひそむ涙を知って下さっています。ヨハネの誕生はこのように多くのひそかに流す涙を拭って下さる希望の神の灯です。涙にくれていた家庭から、この希望の灯がともり始めたとき、全ての人の心に救主を待ち望む灯が次から次へと点火して行きます。

「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」


世界バプテスト祈祷週間

【本 文】主日礼拝メッセージ】                  2000年11月26日

 
恥をぬぐわれて

 

 今4人の姉妹方が国外伝道の状況を伝えて下さいました。私たちの連盟は1947年に日本バプテスト連盟として発足して以来「全日本にキリストの光を」という標語を頂き伝道を展開してきましたが、現状は周知の通りです。また国外に目を向けると4組の宣教師がインドネシア、タイ、シンガポールで働いて下さっています。

 

 ご承知の通り、この福音書はクリスチャン医師であるルカというギリシャ人の手によって書かれたものです。彼はこの書に続いて、その続編とも言うべき「使徒言行録」も著しました。献呈の辞をもって始まる両書は、同じギリシャ人であるテオフィロと言う人物に宛てたものです。ルカはこの人にイエス・キリストの福音を伝えようとしてこの二つの作品を残しました。テオフィロは勿論固有名詞ですが、その意味は「神に愛された者」と言うことが出来ます。「神はその独り子を賜ったほどにこの世を愛された」(ヨハネ3:16)という聖書の言葉と重ね合わせるならば、読者全てがテオフィロです。つまりこれはあなたのため、また私のための書物でもあったのだと言うことが出来ます。

 

 今日は世界バプテスト祈祷週間を覚える礼拝として4人の姉妹方によってタイ、シンガポール、インドネシアにおいて伝道が展開されている事実を喜びながら、尚支援の必要を学ぶことが出来ました。彼の国に宣教師が派遣されているのは、一人でも多くの人がイエス・キリストの福音によって救われて欲しいからです。ルカが福音書を著したのも同じ動機からでした。世界中のテオフィロさんが福音に耳を傾けて欲しいと願ってこの書はあります。

 

 この書は序論に続いて、ザカリヤという祭司の物語から始められています。イエス・キリストの福音は聖書の国に住むユダヤ人、特に神殿で奉仕をするザカリヤのような人にも届けられる必要があったとルカは書いています。

 祭司ザカリヤとその妻エリサベトは「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった」と高い評価を受けている人たちでした。「しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子どもがなく、二人とも既に年をとって」いました。この二度にわたる「二人とも」という紹介の中に、老夫婦の喜びと悲しみ、誇りと肩身の狭さ(25節の「恥」とはそう言う意味です)が伝わってきます。信仰において、またその生活において彼らは人々の模範であり、尊敬の的でした。しかしそれと共に、何とも形容のしがたい周囲の人々に対するコンプレックスがありました。勿論町の人びとは心の中でもまた言葉においてもこの老夫婦を苦しめたり、追い込むようなことはしなかったでしょう。1:58を見ると、エリサベトが無事赤ちゃんを出産したというので、町中こぞって喜びを共にしてくれています。みんなこの夫婦が大好きであったことが分かります。しかし、今は夫婦にとって周囲の温かい思いやり、気配りが、時に重荷になることがあったことと思います。優しいいたわりがかえって惨めな気分にさせられることがあったのではないでしょうか。これを贅沢な悩みだとか、人の思いやりに対して卑屈になりすぎると責めることが出来るでしょうか。人の心の奥に潜む涙を神は知っていて下さるのです。その子ヨハネの誕生は密かに流す涙を、肩身の狭さという恥を拭って下さる神の希望の灯です。

 涙にくれていた家庭にこの希望の灯がともり始めた時、その灯火はまた別の形で別の所に住む人々の心にも点火して行くことでしょう。救主を待ち望む全ての人々の心にこの灯は次から次へと点火して行くのです。

 

 「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました」これこそ福音です。世界中のテオフィロに届けられるべき希望の灯、救主の到来を告げる妙なる讃美歌です。 

 

祈りましょう。

 天のお父さま、あなたのお名前を心から讃美します。ゼカリヤのもとに届けられた福音は積年の涙を拭う神さまのハンカチでした。あなたは彼らの涙を笑いに換えて下さいました。

 神さま、あなたは今も言いしれぬ苦しみ、孤独、悩みに涙を流す人々の内に生きておられます。死人をも生かす主よ、どうか今日礼拝に集われた全ての人々の内に宿って下さい。そして心の叫びに耳を傾けて上げて下さい。福音の光、希望の光を輝かしてあげて下さい。私たちの救主イエスさまのお名前によってお願いします。アーメン。


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