主日礼拝メッセージ
「証人の群れに囲まれて」
聖書: ヘブル12章1節
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」
【要 旨】
今朝は私たちの教会員またはその近親で、先に天の父なる神の御許に帰って行かれた11名の兄弟姉妹を記念する礼拝をささげております。お互いに存じ上げている方もあれば、存じ上げないお名前の方もありますが、毎年私たちはこのような礼拝をささげるごとに、なぜか親しみと懐しさを感じるようになるのが不思議です。今朝与えられた聖書テキストによって、その謎が解けました。
11章から読むと、尚更よく理解できます。ここはキリスト教会の為に与えられた「召天者記念礼拝」メッセージとして読むことができます。それも最近の召天者ではなく、人類の始祖アダムが最初に生んだカインの弟アベルからイスラエルの王ダビデまで14人がリストに掲げられているのですから驚きです。初代キリスト教会のクリスチャンから遡っても、千年以上は経過しているのです。著者は言います。「これこそキリスト教会がささげるべき記念礼拝だ」と。個人的に私が知っているとか、知らないとかが記念礼拝をささげる意義を問う基準ではありません。大切なのはリストの14人、そして私たちの教会の11人の故人が神と御子イエス・キリストに知られていたこと、そして彼ら14人、あるいは11人も神に知られていたことを信仰によって知った、それ故に記念礼拝の意義があるのです。同時に今朝ここにある私たち礼拝者がその鎖の環の一つに組み込まれている事実に気付きを与えられ、慰めと希望に満たされるのです。アーメン!
【本 文】 主題「証人の群れに囲まれて」
仙川キリスト教会に赴任して2年が過ぎました。皆さんと共にささげる召天者記念礼拝も3度目になります。
所で皆さんもお気付きの通り、角柄登喜雄兄と服部貞子姉のお名前がリストに記載されていません。これには理由があります。1995年11月5日の執事会で、1993年11月7日に「永眠者名簿」の原本を作成する際の申し合せ事項として次のように確認した記録があります。「逝去された初年度は名簿に記載せず、特別の記念式を行い、次年度から名簿に記載する」私もこの確認に賛成です。
それで本日の召天者記念礼拝としては次の11名のお名前をご紹介しながら、この方々を心に留めて記念し、ご遺族・ご親族と共に礼拝をささげたいと思います。
高木鎭一兄(1954.10.15) 高木美津子姉(1982.11.13)関野九郎兄(1971.7.25) 関野はるの姉(1989.3.12)
沢田アキ姉(1977.8.9) 立川孔弘兄(1945.8.17)
立川孔次兄(1976.11.11) 立川田鶴子姉(1985.5.15)
白石せつ姉(1979.10.20) 白石伍郎兄(1980.7.28)
高橋シン姉(1988.9.5)
さて、私たちは毎年どうしてこのような礼拝を捧げているのでしょうか。その答えは今日の御言葉によって分かります。 アベルエノク、ノア、アブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、サムエル、ダビデまで14人、更には数え切れない預言者達のことも紹介されています。彼らは皆旧約聖書時代の人々で、いずれ劣らぬ著名な神の働き人です。初代キリスト教会の時代から遡(さかのぼ)っても1千年以上も経過している人人です。
私はここに1998年版の「キリスト教年鑑」というものを持っています。これ1冊あれば、世界中のキリスト教の状況を知ることが出来ます。また全国の教会名とその連絡先、牧師の名前が一目で分かるのです。全く知らなかったキリスト教会の名前を見て「この教会にも何十人、何百人のクリスチャンが毎週イエスさまを讃美し、礼拝を献げているのだな」と思うと、喜びと親しみを感じます。また著名な牧師、とっても素晴らしい働きをしていらっしゃる先生のお名前が記載されています。そう言う方々と私のような者が同じ名簿に記載されているのですから恐縮です。
ヘブル人への手紙を初めて読んだクリスチャンたちも同じ感想であったと思います。著者は「ここに召天者記念礼拝メッセ−ジがある」と言います。私が個人的に知っているとか、知らないとかが問題ではないのです。大切なのはヘブル11章のあの14人+α、キリスト教会年鑑に掲載されている無数のクリスチャン達、伝道者・牧師達、仙川キリスト教会の11人全てが主イエス・キリストの父なる神に知られ、救われて天に召されて行ったと言う事実が大切なのです。更に今この地上に生かされている私たちが確認することに召天者記念礼拝をささげる意義があるのです。
「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるか−3−ら、一切の重荷と、絡みつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を耐え忍んで走り抜こうではないか」
私達の信仰は間違ってはいなかったのです。大昔の偉大な人々と同じ神さまに愛され、同じ神さまを崇めることが出来、同じ神さまに生かされているのです。あの人々を救われた神は今も生きて働き、私たちをも救って下さいました。召天者記念礼拝とはこのような喜びと、感動を新たにする恵みの時なのです。
そしてもう一つ大切なことは、今ここにある私たち礼拝者も、これまで連綿と引き継がれてきた信仰の駅伝競走、バトンリレーに参加するようにとエントリーされていると言うことです。
祈りましょう
天の父なる神さま。御名を崇め讃美します。
今朝私たちはこの教会の先輩である11名の故人を覚えて記念の礼拝をささげています。ご遺族にとっては勿論、親しい人々には懐かしいお名前です。その親しい故人が、あのアダムに始まる信仰の偉人たちと同じ神さまの御許にあるのだという事が分かりました。彼らは地上にありし日々、罪と戦い、誘惑と戦い、この世の信仰のレースを勝ち抜いて御前に迎え入れられました。
地上にある私たちは、同じ望みをもって、この世で残された時間を精一杯神さま、あなたを伝えることに全力を注ぎたいと思います。どうか私たちをお支え下さい。
私たちの救主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。