イースター礼拝・福音メッセージ要約】
2004年4月11日                   
三日の後に復活する
マルコによる福音書9章14-32節
メッセージ 高橋淑郎牧師

 聖書によると人間は神の形に、神にかたどって創造されましたが、人間は神になりたがります。ここに罪があります。今から2千年前に驚くべき出来事が起こりました。神が人となられたのです。「人の子」とは、イエスがご自分を謙った言い回しです。その意味は、「人となった神」、また「人間に仕えるためにこの世にこられた神」ということができます。神の子イエス・キリストがどうして人間の姿をとってこの世にこられたのか、その理由は、「人々の手に引き渡され、殺されるため」(31節)です。神になりたがる人間が、人となった神を手にかけるのです。十字架は人間の罪を象徴しています。しかし、神であるイエスは死に支配されたままではいません。「殺されて三日の後に復活する」と言われます。

 神のご本質は愛です。神の愛はこの世の全ての罪びとを無条件で赦し、受け入れたいのです。しかしまた神は聖なる方なので、シミほどの罪と汚れさえ赦すことも見逃すこともできません。「罪の支払う報酬は死」(ローマの信徒への手紙6:23)です。この至高の聖と至高の愛という両面を合わせ持つ神の御心をどうすれば満足させることができるでしょうか。み子を十字架につけることで、神の聖さを満足させました。しかもみ子が十字架に死んでくださったことによってわたしたちは救われました。神は不死の方ですから、三日目に墓の中から甦られました。これによって罪は永遠に滅ぼされました。

 もしイエス・キリストがこの世に来てくださらなかったら、わたしたちの心は冷えたままですから、真の愛を知らなかったでしょう。もしイエス・キリストが十字架に死んでくださらなかったら、わたしたちはいつまでも罪の闇路をさまよい、救いの道を知らなかったでしょう。もしイエス・キリストが甦ってくださらなかったら、わたしたちは罪びとのままですから、永遠の命と神の国に至る道を知らず、永遠の滅びに堕ち行く者となっていたことでしょう。 主に感謝して祈りましょう。

 

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