【主日礼拝メッセ−ジ要約】                        2005年4月10日

  東から西まで 

マルコによる福音書16章14-結び二

 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 教会に与えられた使命は福音宣教です。福音とは「幸福の音信」です。最高の幸福をもたらす知らせという意味です。身をもって「東から西まで」福音を宣教して下さったのが「イエス・キリスト」です。神の子キリストは人間の姿で天から降り、わたしたちの罪の身代わりに十字架に死んで三日目に復活されました。全ての人は罪を悔い改めてイエスを神の子救い主と信じてバプテスマ(浸礼)を受けるなら救われるのです。

 更に主イエスは言われます。「信じる者には次のようなしるしが伴う…」と。これを文字通りに解釈しようとすると行き詰まってしまうでしょう。主イエスが蛇のようにつきまとうサタンの誘惑を御言をもって退けられたように、キリスト者も誘惑者サタンを聖書によって掌握し、その力に屈しないことを言うのです。また毒を飲んでも害を受けないとは、言葉の毒気にあてられても主にあるアガペーの愛をもって勝利すること、様々なストレスにも御霊による免疫を得ることです。

 また、キリスト者は病人に手を置くことで神の御業を経験します。病む人の傍らにあって「手を置いて祈る」という奉仕によって病に苦しむ者の魂に平安と御国への希望をもたらすからです。

 「新しい言葉」を異言と解する人がいます。それもまた神との対話における尊い賜物です。しかし、これを原文に従って読みますと、「新しい舌をもって語る」という意味です。多くの人に害を及ぼす身体の機関は舌です。しかし主はキリスト者に新しい言葉を与えて下さいます。それを使徒パウロは、「塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」(コロサイ3:6)と、更に分かりやすく言い換えています。不信仰な言葉、頑なな言葉、人を呪う言葉ではなく、讃美と祝福の言葉を用いて語る時、聴く人の耳に快い響きとなって入ってゆくことでしょう。人は罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることによって、このように変えられるのです。

   
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【主日礼拝メッセ−ジ】                       2005年4月10日

  東から西まで 

マルコによる福音書16章14-結び二

 メッセージ:高橋淑郎牧師

 

 わたしは1976年に牧師として選び立てられました。34歳でした。来年で約30年になります。年平均52回の主日礼拝毎に講壇から主イエス・キリストのメッセージを伝え続けて今日まで約1,500回です。その間二つの伝道所に遣わされ、1978年と1989年にそれぞれ教会組織へと導かれ、日本バプテスト連盟の一員に加えられました。日本バプテスト連盟が言う教会組織とは、お母さん教会の指導と養いを受けていた伝道所が、これからは自給自立で伝道し、教会形成をすることです。教会として看板を掲げる前に、近隣教会の牧師、兄弟姉妹に集まってもらって、「わたしたちが告白する教会としての信仰はこれです。与えられたビジョンの下に、これから牧師・信徒が祈りと心を一つにして、最善の奉仕とささげものに励み、喜びをもって伝道をしてゆきます。ついては皆さんの助言やご批判を頂いてこれからの宣教と牧会に生かしてゆきたいと願います。」と呼びかけて教会組織諮問会議を開きます。また連盟総会にも諮り、賛同を得て連盟に加盟するのです。「教会組織諮問会議」は、いわば教会としての成人式のようなものです。

 今わたしたちが礼拝をささげているこの仙川キリスト教会も40年前の3月、に同じような手続きを経て教会組織へと導かれたのです。残念ながら教会員として当時を知る人は誰もいません。40年という時の長さをつくづく思わされます。最近はこういう手続きを踏んで教会としての歩みを始められるのか、別の形でなさるのか、定かではありませんが、少なくともどの教会のメンバーにとっても、地域と連盟諸教会の一員にされたことの喜びと自覚を新たにされた嬉しい時という点では同じではないでしょうか。あのときがあって今があるのです。そしてこれからの伝道への刺激になっています。このような教会の歴史をさかのぼってゆくとき、いったいこの流れの源はどこに行き着くのでしょうか。その答えがこのマルコによる福音書16章14節以下であり、来週から読む使徒言行録であります。

 

 「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と主は言われます。21節に相当する結び二に、まず女性の弟子たちがキリストの復活の証人として立てられ、また他の弟子たちも主が昇天された後、至るところで福音宣教に励みましたが、その背後で主もまた彼らと共に働き、語るべき言葉を整えて下さいました。19節以下で見落としてならないのは、主ご自身が東から西まで弟子たちを通して永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広めて下さったのです。

 教会に与えられた使命は福音宣教です。全世界に出て行けといわれると、何かとても大きなことと考えがちですが、働いて下さるのは主ご自身です。わたしたちは、ごく身近な一人ひとりから始めて確信をもって福音を語り伝えることです。わたしたちにとって出会う全ての人が福音をお伝えする対象です。個人的に気の合う人も合わない人も、魅力的な人もムシの好かない人も、全てが伝道の対象者です。なぜならこの人もあの人も全てが全能の神の作品だからです。

 では、彼らにお伝えするものは何でしょうか。「福音」です。福音とは「幸福の音信(おとずれ)」です。それを聞く人にこの上ない幸福をもたらす知らせという意味です。何がそれほど人を幸福にするのでしょうか。福音の中身は何なのでしょうか。「イエス・キリスト」です。このお方が人類のためになさった愛の御業です。

 マルコはこのことを知ってもらいたいためにこの福音書を著したのです。もう一度1章から読み返せば分かることですが、それではいつ礼拝を終われるか分かりませんので、かいつまんでお話しますと、神の子イエス・キリストが人間の姿で天から降り、わたしたちの罪の身代わりに十字架に死んで下さいました。しかし、神は御子イエスを死人の中から甦らせて、罪を悔い改めてイエスを神の子救い主、キリストと信じる人は誰でも救って下さいます。これが福音です。16節を見て下さい。信じてバプテスマを受ける者は救われるのです。ただ形だけ水に浸かっても救われません。これまでの罪を悔い改めてイエスを救い主と信じる信仰が先行していなければなりません。

 更に主イエスは言われます。「信じる者には次のようなしるしが伴う…」と。手で蛇をつかんでも毒を飲んでも死なず、決して害を受けないというのです。これを文字通りに解釈しようとすると行き詰まってしまうでしょう。そうではなく、蛇をつかむとか毒を飲むとは、かつて主イエスが蛇のようにしつこくつきまとうサタンの誘惑を、聖書をフルに用いて退けられたように、キリストの弟子たちも人を罪に陥れようとするサタンを聖書によって掌握し、その力に屈しないことを言うのです。また毒を飲んでも害を受けないというのも、大道芸人のデモンストレーションではなく、言葉の毒気にあてられても主にあるアガペーの愛をもって勝利することであり、様々なストレスに対して御霊による免疫を得ることです。

 また、キリスト者は病人に手を置けば治るという御霊の不思議な御業を経験します。これはクリスチャン医療関係者に与えられた御霊の賜物ですが、すべてのキリスト者にも与えられています。看護師の「看」という文字は手と目を組み合わせた文字です。優れた医療技術や薬品を用いることは大切ですが、病む人の傍らにあって「手を置いて祈る」という奉仕の業は更に有効です。それによって病に苦しむ者の魂に平安と御国への希望をもたらすからです。

 「新しい言葉」を異言と解する人がいます。それもまた神との対話における尊い賜物です。しかし、これを原文に従って読みますと、「新しい舌をもって語る」という意味です。新しい舌というとき、ヤコブ3:1−12を心に留めて読むと、主の語られた意味が見えてきます。人間にとって最もコントロールがむつかしく、自分だけでなく他に害を及ぼす身体の機関は舌です。言わずもがなのことをつい口走り、人を傷つけてしまうことがあります。そのようなわたしたちに主は新しい言葉を与えてくださいます。それを使徒パウロは、「塩で味付けされた快い言葉で語りなさい」(コロサイ3:6)と、更に分かりやすく言い換えています。不信仰な言葉、頑なな言葉、人を呪う言葉ではなく、讃美と祝福の言葉を用いて語る時、聴く人の耳に快い響きとなって入ってゆくことでしょう。人は罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることによって、このように変えられるのです。  祈りましょう。

 

天の父なる神さま、あなたの御名を心から崇めます。

 今日までマルコによる福音書を通してあなたの深い御心を教え諭して下さったことを心から感謝します。

主ご自身が東から西まで多くのキリスト者を用いて福音を告げ広めてくださいましたので、この地にも仙川キリスト教会というあなたの僕が与えられました。

天のお父さま、どうぞわたしたちの教会にもこのような奇蹟を見させて下さい。厳しい言葉をもって議論を戦わすのでなく、人を陥れるサタン的な物言いでもなく、清められた言葉、塩で味付けられた快い響きのする言葉をもって、何よりも福音を取り次ぐ者、互いに祝福しあう者、また病む者に手を置いて共に祈り合う関係としての教会形成ができますように導いてください。

わたしたちの救い主イエス・キリストの尊い御名によって。アーメン。

 


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