【主日礼拝メッセージの要 約】                                 2008年6月8日

共にいる恵み、喜び 

 
マルコによる福音書14章22-26節

 

藤沢一清牧師

 私は昨年6月をもって46年の牧師生活にピリオッドを打ち、同じ教会の一会員として教会生活を過ごしています。
 牧師の場合、46年といってもなんら誇るべきことはありません。主イエスの伝道生活は3年間でした。その短い期間に主は、決定的な神のみわざを成し遂げられたのでした。しかし比較するのは不遜なことですが、私は何ら決定的なことは何もなく、だらだらと過ごしてきました。道に迷いながら、壁にぶつかりながらの時の連続でした。そのために家族や教会の方々を混乱させてきました。しかしそのたびに、教会とは何か、自分が牧師であるとは何かを考えたり反省したりする機会となりました。その都度、聖書を読み、またいろんな教科書や経験者の話に学びました。当座はそれで凌げたものの、教会や自分の現実はそれらをことごとく崩してくれました。ところがその崩れたところに、不思議にも主イエスが立っておられました。そして聖書の読み方もたびたび変えられ、そのたびに主の恵みを感じてきました。


 その不思議なことが起こるところが教会であり、また私たちの信仰である、そう思うようになりました。私にはできないことですが、もし聖書の教えを読みとり、祈り、そこで得た確信をただ機械的に語っているだけなら、牧師のわざは続けられなかっただろうし、教会や社会のどろどろとした現実に身を置かなかったら、聖書どころか主イエスにお会いすることもできなかっただろうと思います。しかし道に迷い、壁にぶつかり、先が見えない時に、共に迷い、ぶつかり、混乱てくれた主イエスに、そして家族や教会に、いまはただただ感謝するばかりです。

     声によるメッセージ


 
 

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