【主日礼拝・証の要 約】                                 2008年6月15日

海よりも深い主の愛」 

 
ローマの信徒への手紙8 章38b-39
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力ある
ものも、高い所にいるものも、低いところにいるものも、他のどんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引
き離すことはできないのです。

 

紫園 香 姉

 苦境に立つ時いつも私は、祈りつつも何とか自分の力でこの状況を乗り越えようとして来ました。しかし小さな頭で考えるのには限界があります。礼拝中、講
壇で語られることにいくら感動しても、実生活ではいつも思い煩いがあり、「なんとかしなくちゃ!」と思っていました。自分を傷つけるような人に対して、い
つも防備していましたし、裁いてもいました。しかしそんな自分が何かおかしい、何か一番大切な所がわかっていない、ということにも気づいていました。
そしてある日どうしようもなくなって「神様、助けて!!」と叫びました。不思議な事に「もうお手上げだ!助けて!」と神様に無様な自分をさらけ出し、
依りすがると、神様は働かれました。それはまさに羊飼いが、平坦な道を行っている時は何もしませんが、細く険しい道になれば羊一匹づつを抱いて安全な所へ
連れて行くのと同じでした。
 また4月から就任した礼拝礼典執事の重責、賛美の奉仕がどれほど大変か!と身構える思いでいましたが、これが不思議な事に、本当に恵まれるのです。礼拝
や賛美の準備の事が頭から離れず、いつもそのことを考えているのですが、これがまた幸せなのです。まったく不思議です。聖霊の助けを感じます。
ある日讃美歌378 番「海よりも深い主の愛」を賛美していたら、主の信じられないほどの愛の深さ、大きさに圧倒され、何とも言えぬ安心がやって来て涙がと
まらなくなりました。いつも傷つけられるのが嫌で距離を保ち防御していた人と、一緒にいても全く平安です。その不思議な平安が相手にも伝わるらしく、状況は
何一つ変わらないのに、主の愛の圧倒的な広がりだけが迫って来て、それだけで充分満たされている幸せを生まれて初めて実感しました。自分はこのままでいい
のだ、そして相手も・・・。神様は一人一人を深く深く愛されている・・・。大変な状況は何一つ変わりませんが、神様のあまりの愛に涙があふれ、嬉しく
てたまりません。こんな幸せがあるとは知りませんでした。でもきっとこの先また、それを忘れる日もあるでしょう。でも忘れてもいい、持続しなくてもいい、
それが被造物である証拠ですから。私がどんな状態であっても、神様の深く広く圧倒的な愛は変わらないのですから。このことを知らせるために私を揺さぶり続
けて下さった神様の深い愛を心から感謝します。その御愛を讃えて、神様の一日一日を大切に歩ませて戴きたいと願っています。

       音声による証と「讃美と祈り」礼拝

 

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