【主日礼拝 メッセージ 】 2010年7月11日
ペトロとヨハネは、イエス様を宣べ伝えたという理由で牢に入れられました。そして翌日、尋問を受けましたが、神の守りと導きにより釈放されました。ペトロとヨハネは仲間のところに行き、この出来事を残らず話しました。これを聞いた人たちは心を一つにして祈りました。その祈りは、私たちを迫害からお守り下さいではなく、迫害の中で大胆に語ることができますようにとの祈りでした。
私たちはこのような時、主よ、今彼らの脅しに目を留め、その脅しから私たちを守ってくださいと祈ることが多いです。苦難が私の所に来ませんように、そして、無事に信仰生活が送れるようにと、どこか消極的な祈りをしてしまいますが、もっと大胆に祈ることができるのです。
よく、私たちは人間関係で傷ついたり、失敗を恐れたり、挫折感を味わい、現実から逃避することがあります。このようなときでも大胆に、神様、私を傷つける人を前にしても怯えることなく、失敗を恐れることなく、大胆に歩めますようにと祈れるのです。また、右に進もうか、左に進もうかで迷ったまま立ち止まってしまうことがあります。そんなときでも、神様、私は祈った結果、右に進みます。どうかその道を祝福してください。そして間違ったら直してください。私とともに祈る仲間を与えてください。このような大胆な祈りをしたいものです。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7:7)。私たちは大胆に求め、たたき、探すような祈りをしているでしょうか。「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(マルコ11:24)。私たちは祈り求めることはしますが、でも、それを受けたと信じることは少ないのではないでしょうか。そして、そこまで大胆に確信できるでしょうか。私たちの祈りはどこか、駄目なら駄目でしょうがない程度の、初めから諦めのような祈りではないでしょうか。
大胆になれないのは、聖霊に満たされていないからです。祈りなしには聖霊に満たされません。ですから聖霊の満たしを求めて絶えず祈りましょう。祈りに対してもっと積極的になりましょう。
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