【主日礼拝 】 アドベント第一週 2010年11月28日
ダビデはサウル王に次いでイスラエルの2代目の王に着きました。サウル王とダビデ王の決定的な違いは何であったかとかというと、サウル王は神に立ち返らなかったが、ダビデ王はいかなるときも神に立ち返りました。ダビデは全ての権力、財力を得て、何ら不足のない地位に立った上でも、信仰生活においては神に信頼して生きていました。
しかし、ダビデは王様の地位にいながらも、その生活においては苦難の連続でした。肉親からは妬まれ、信頼していた人からの裏切り、サウル王からは命を狙われ、荒野を逃げ回り眠れぬ夜も過ごしました。私たちと同じように先々の不安や老後の心配、数々の悩みなどあとを絶ちませんでした。更には自分が犯した罪への罪悪感から生きる希望すら失ってしまったのです。
詩編には、そんなダビデの嘆き、愚痴、不満、怒りの告白が記されています。そして「神よ、わたしの祈りを聞き、この口にのぼる願いに耳を傾けてください」(詩編54:4)。信仰の世界はきれいごとではありません。信仰の世界は、すべてを隠すことなく、ありのままにさらけ出すことです。そして何よりも神への信頼であります。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」(詩篇46:2)。
私たちの信仰生活においても、主イエス・キリストを人生の導き手として生活し、私たちの信仰が経済などに左右されることなく、いつでもキリストを信頼しぬく生活でなくてはなりません。信仰と生活がしっかりと結びついているならば、私たちの生活は主によって豊かなものにされます。「歌う者も踊る者も共に言う『わたしの源はすべてあなたの中にある』と」(詩編87:7)。ダビデはどんな状況の中にあろうと、わたしの喜びの源は神の中にあると言いました。私たちの喜びの源はどこにあるか確認してみましょう。
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