【主日礼拝 】 2011 年1月30日
イエス様のもとに一人の百人隊長が近づいて来て懇願し「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます(6)」と言った。イエス様
は「わたしが行っていやしてあげよう」(7)と言われました。百人隊長は「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます」(8)
これを聞いたイエス様は「わたしはこれほどの信仰は見たことがない」(10)と仰せられた。イエス様を驚かせた信仰とは・・・
第一に、それは「愛」に基づいている事です。この百人隊長は、自分の事のためにイエス様にお願いに来たのではありません。僕の苦しみを見過ご
す事が出来ず、イエス様の所に来て懇願したのです。この姿に愛を見る事ができます。時々、私たちは、自分の事を愛してくれたら、相手の事も愛そうとしま
す。しかし、愛に条件をつけたら苦しみます。私がこんなに愛しているのに、なぜ、それに答えてくれないのかと、また、義務感からも人を愛する事は出来ませ
ん。私たちは何をしたかが問題ではありません。どんな心で行ったかが問題です。愛の心で果たしたのであれば、それで十分です。
第二に「謙遜」でありました。
百人隊長は、イエス様に向かって「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」(8)と言いました。謙虚は神のお姿で
す。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になら
れました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6−8)。私たちが謙虚になれないのは何
に固執しているのでしょうか?プライド、世間体、他人の目・・・ですか?「主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます」
(ヤコブ4:10) 謙虚こそ力です。
第三に、彼はイエス様を信じていました。「ただひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕は癒されます」(8)それに対して、イエ
ス様は、あなたの僕はいやされたとは仰せられず「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」(13)と仰せられました。「ちょうどそのとき、僕の病
気はいやされた」(13)。百人隊長は必ずイエス様がこの問題を解決してくださると信じていました。だからその通りになったのです。
今、同じ御言葉を私たちも頂いています。私たちの信仰はどうでしょうか。
福音メッセージ一覧へ
|