【主日礼拝 】 2011 年2月27日
最後の晩餐のとき「イエスは弟子たちに言われた。『今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。』」するとペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしは決してつまずきません。」更に「たとえ御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」(マタイ26:33-35)と言った。ところが、その晩、イエス様が捕らえられると、ペトロはイエス様のことを三度も「わたしはあの人を知らない」と否定してしまいました。その事によって、ペトロはイエス様に従う事ができないという自分を明らかにしてしまったのです。その後、ペトロは人生の敗北感を味わいながら、イエス様と出会う前の生活に戻って行きました。人は一度でも大きな敗北を味わうと、なかなか人生を新しく生き直す事や、やり直す事、望みを持つ事が出来なくなります。だから、私たちは失敗を恐れるのです。敗北が怖いのです。
復活したイエス様がそんなペトロのもとに来てくださったのは、ペトロの人生をやり直させるためでありました。また、神様にやり直させて頂く新しい人生は、最初の人生よりも、遥かにすばらしい人生だということを知らせるためでした。そして、ペトロにこれから神様に従って歩む人生を始める前に「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」(16)と三度、問われました。
以前のペトロでしたら『わたしを愛しているか。』との主の問いに『もちろん、私はあなたを愛しています。』と胸をはって答えていたでしょう。しかし、今は「主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたはご存じです。」(15)と、一見、頼りない返事ですが、わたしのあなたに対する愛は、あなたが十分に知っておられます。自分のだらしのない事も、弱い事も、いい加減な事も、何もかも知っておられるイエス様にすべてをお任せしています、そんな愛の告白です。しかし、この愛の告白こそイエス様ご自身がペトロの中に呼び起こしてくださったものなのです。人が自らうち建てた愛は最後には裏切りとなり敗北となっていきます。しかし、イエス様がうち建てられた愛は人を生かし、私たちの人生を根本から変えてくださるのです。
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