【主日礼拝 】                                       2011 年3月6日 

『福音の前進(獄中からの手紙)』

フィリピの信徒への手紙1章12-20節

山岸 明牧師

 『フィリピの信徒への手紙』は、パウロが牢獄で書いた手紙です。この手紙は4章の短い手紙ですが、この中に“喜び“という言葉が何十回と出てきます。パウロはどうして、牢獄に入れられても喜ぶ事が出来たのでしょうか。それは、身にふりかかった災難とでも言うべき状況の中で、その事がかえって福音の前進に役立った。それがパウロにとって大きな喜びとなったのです。その出来事は三つありました。
 第一に、自分を監禁している兵営までキリストが伝わったこと。「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」(使徒言行録16章25節)とあるように、きっとこの牢獄にあっても賛美と祈りをしていたでしょう。それが自分を監視するローマの兵隊まで、キリストの名が伝えられた。これは、自分が牢獄に入らなければ、決してキリストに触れる事のなかった人々に福音が伝わった。この事を喜んでいるのです。
 第二に、パウロは自分が牢獄に囚われた事によって、他のキリスト者が勇敢に福音を伝えるようになった。これは不思議なことです。常識的に考えれば、パウロが捕らえられたとなれば、やがて自分の上にも身の危険が迫るかも知れない。ある者は自分が信仰者であることを隠し、ある者はイエス様から離れ去っていく。そういう状況の中で「恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになった」(14)。と言います。これは牢獄に捕らわれても、なおも信仰者として喜んで生きているパウロの姿が、人々を励まし、勇気づけたのです。
 第三に、パウロは自分が牢獄に入れられた事によって、動機は様々であっても、キリストが告げ知らされている事を喜びました。パウロが牢獄に入れられたとき、二つのグループに分かれました。一つは、パウロを愛し、パウロを支持する人々です。パウロの分も励まなければと思った人々です。「善意でする者」「愛の動機からする人」がそれです。もう一つは、パウロの働きの故に自分の影が薄くなったと思っていた人々、彼らは「ねたみ」と「争い」の念にかられ、自分の利益を求め、不純な動機で伝道する人たちです。パウロは、自分が何と言われていても、福音が前進すること、キリストが崇められる事を、何よりの喜びとしたのです。


 
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