【主日礼拝 】 2011 年3月20日
『フィリピの信徒への手紙』はパウロが牢獄で書いた手紙です。自分にふりかかった苦難の中で絶望する事なく、わたしにとって生きるとはキリストであると言って希望に溢れていました。それは、今の現実を自分の視点からではなく、キリストの視点から見たからです。私たちの人生も自分の視点からではなく、キリストの視点から物事を見たとき、そこには苦難をも喜びとする恵みがある事に気がつきます。
第一の恵みは、自分が監禁されたことで、自分を監視するローマの兵隊までにキリストの名が伝えられたこと。また、他のキリスト者が勇敢に福音を伝えるようになったこと。さらに、動機はどうであれ、キリストが告げ知らされたこと。パウロは、自分が何と思われても、福音が前進すること、キリストが崇められる事を、何よりの喜びとしたのです。
第二の恵み、パウロはかつて「自分が生きる」という事を熱心に求めた人です。周りにいた人々を押しのけてでも自分が生きようとしました。常に「自分が、自分が」でも、それは救いのない歩みでした。それが今では「キリストが、キリストが」言えるまで変えられました。それは、自分が生きているのではなく、キリストの十字架という恵み、それは、キリストによって救われた。その愛に生かされているのだと知ったからです。パウロはその恵みの証人として、災難の中にあってもキリストの恵みは変わる事なく、私に注がれている事を教えてくれるのです。
第三の恵み「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」(27)とあります。私たちがそれを目指すとき、そこには戦いがあります。それは自分の中に潜む不信仰との戦いです。「あなたがたは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(29)パウロも数え切れないほどの苦難に出会いました。船が難破して海上を漂ったり、飢えに苦しんだり、反逆者として投獄されたり、思いがけない災難が次々に襲いかかりましたが、パウロは信仰によって苦難を乗り越えるたびに、苦難は人生をマイナスにするのではなく、プラスになって働いている事を発見しました。私たちの『信仰の戦い』の先にあるのは、わたしにとって生きるとはキリストであるという恵みです。
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