【主日 礼拝 】                                       2011年6月19日 

『主の民は大勢いる』

使徒言行録18章1-11節

山岸 明牧師


 聖書に「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がいなければ、どうして聞くことができよう」(ローマ10:14)とあります。私たちが今、神の恵に与かることが出来たのは、私に福音を語ってくれた人がいたからです。きっとその人は、勇気を持って私に福音を伝えたと思います。

 パウロはアテネと言う町で福音を語りました。でも誰も本気で聞いてくれませんでした。最後には相手にされず、そこを立ち去りました。アテネでの伝道は失敗に終りました。パウロは衰弱し、恐れを抱いたままコリントにやってきました。そのときには、福音を語る勇気も力も希望も失っている状態でしたが、でも力を振る絞り「イエス・キリストは救い主である」と福音を語りました。そんなパウロに「彼らは反抗し、口汚くののしった」(6)のです。行く先々で、笑われ、無視され、ののしられ、囚われ、鞭打たれ、牢に入れられ、パウロはもう嫌になったでしょう。

 私たちも、家族や、友人にイエス様の事を語っても少しも分かってくれない。これ以上、話しても反感を買い、気まずくなるだけだ、黙っていよう。また、自分がキリスト者である事を明らかにすると、変な目で見られると困るので、黙っていよう。そのうちにイエス様の事を全く語らなくなります。今日のみ言葉は、そんな私たちに向かって語られています。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたとともにいる。だから、あなたを襲って危害を加えるものはいない。この町には、わたしの民が大勢いるから」(9-10)。

 神が恐れず語りなさいというときに、わたしがすべてを備えているから安心して語りなさい、と仰せられているのです。伝道の成果は私たちの能力や力よって実を結ぶものではありません。伝道とは主が備えてくださっている神の民との出会いのときです。主の民が大勢いても福音の種が撒かれなければ、出会う事は出来ません。しかし、主が備えてくださっている人たちのところに福音が届けば、それを受け入れ、主を信じる者となるのです。神の選びが先にあるのです。「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)私たちはこの事を信じて、この地に福音を伝えていくのです。「良き知らせを伝える者の足は何と美しいことか」(ローマ10:15)。


 
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