【主日礼拝 】                                  2011年8月28日 

『霊に促されて』

使徒言行録20章17-24節

山岸 明牧師

 パウロは「わたしは霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」(使徒言行録20:22−23)と語っています。

 自分にとって不都合な事が起きるのであれば、本来なら、そこへ行くのを止めようと思います。パウロの伝道も順調に行き、パウロが主によって建ちあげた教会も成長しつつあります。このような時にエルサレムに出向き、身を危険にさらす必要がどこにあるのでしょうか。今のままで良いではないか、しばらくはこのままでいよう、という気持ちがパウロにもあったと思います。しかし彼は、霊に促されて、それは見えない力に押し出されて、もうエルサレムに行かないではいられなくなったのです

 聖霊に促されるとは、たとえ、これは損だとか、それはつまらない事だと分かっていても、なぜかそうせずにはいられなくさせる力のことであります。時には、自分の命も、その他のいろいろな苦難をも問題とさせないで、私たちをその道へと追いやっていく、そういう力でもあります。

 また、聖霊は御言葉を通して私たちの現実に働き、現実を変え、現実に問いかけ、しっかりと信仰に生きる者としてくださいます。「わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ、言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです」(テサロニケ(一)1:5)。私たちは聖霊に促されて生きるのか、それとも自分の思いに動かされて生きるのか、聖霊の導きの歩みは、私たちを力強く歩ませてくださいます。自分の内なる思いに動かされる時、その人生は一喜一憂し、焦点の定まっていない歩みをするのです。


 
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